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@nzmt_i2o3

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ちゃんと学問しておくべきだった、ということの意味

いいものつくるため・金稼ぐため。

アイデアにおけるパタン・ランゲージはつくれるか - IDEA THINKING

という記事を読んだ。書いている人は、汐留に本社を構える広告会社の人なのだけれど。あの会社の人ってあまり俗っぽいことというか、ツールに関する話をしてくれないイメージがある。敢えて悪い言い方をすると「え、アイデアの出し方?うーん、考えたらおもしろいこと思いつくよね」みたいなイメージ。むしろ「おまえちゃんと考えたの?」と切り返されることだろう。いやもちろん、彼らが楽をしているという意味合いではなく、それまでの人生で鍛えてきた思考筋肉がとてつもない、というただそれだけのことなのだけれど。まあ要は「頭がいい人たち」なのだと思う。

頭のいい人、というのはあまりに大雑把な定義だから、もう少し丁寧にやってみると、ぼくはちゃんと考える行為をしてきた人たちであり、その1つのパターンがちゃんと学問をしてきた人なのだと思う。

そして残念なことに、ビジネスの闘いのレベルが上がっていくほど、学問的な知識が要求される世界になる気がしている。別にぼくは実際に体験したわけじゃないけれど、そういう人たちが好むメディアや記事を追っていてそのように感じた。ハーバードビジネスレビューあたりでも研究論文がどうとか書いてたりするし。(というか、グローバルに戦場が移ったらMITだとかハーバードだとかスローンだとかスタンフォードだとかコロンビアだとかUCLだとか世界中の才能が集まって死ぬほど勉強してる機関を卒業してきたやつがごろごろいるので、レベルが上がるほど学問的になるのは異論ないよね。)

ちょっと具体的に言うと、上に紹介した記事から記事を部分的に引用してみる。ちょっと長いのだけれど。

しかし、ここででてくるのは、この見出した構造を再び設計に持ち込んだときにでてくる矛盾です。柄谷行人は、アレグザンダーのことをこう評しています。「より人間的で生きられる都市空間を作ろうとする他の多くのプランナー達と、ひとつの点において決定的にちがっている。それは、彼が自然都市という多様体を、数学的構造に、すなわち秩序に還元できると考えたことである。つまり、プランナーたちの建築的な企てを批判しているにもかかわらず、いわば「建築への意志」がもっとも徹底しているのは彼においてである。アレグザンダーの視点の新しさは、多くの点で構造主義と共通する──前者は集合の順序構造に注目し、後者は集合の代数的(群論的)構造に注目している──けれども、われわれの文脈でいえば、それは「自然が作ったもの」を「思考によって作りなおす」ことにほかならない。そしてそこには、多様なものをめざしているかにみえて、それに対する根本的な敵意がある」(「隠喩としての建築」より)ここで触れられている構造主義とは、文化人類学者のレヴィ=ストロースのことです。彼は、西欧が自認している歴史の先端ではなく、歴史の底に潜む「変わらないもの=構造」を探り出そうとしたと言えます。構造は人間が生得的に与えられた能力によって、長い時間をかけて生成されたものだと言っています。

例えばこの文を読んだ時に、柄谷行人構造主義レヴィ=ストロースという3つの単語を知っているのと知っていないのとでは、理解に大きな差がでる。(恥を忍んでいうけど、ぼくも構造主義については語だけ知っていて内容については理解できていない)

いま、僕はちょうど卒論を書いているのだけれど、文献として、ロジャーズのイノベーションの普及学を読んだ。ぼくが生まれる何十年も前にこうした理論が形成されていることにオドロキを感じたし、そこからまた派生する様々な思想や理論に興味がわいた。残念ながらそこに腰を据えてじっくり向き合うほどの時間は、いまのぼくにはない(まもなく卒業し、就職をする)どうしてもっと早く気づくことができなかったのだろうと後悔がのこる。

学歴コンプではないのだけれど、やっぱり東大とかに行くべきだとぼくは思うのです。学歴としてではなく、自分のアタマを高める場所として。ちゃんと学問をする、ということは1人でやることだけれど、その価値にきづくには環境が大事だと思う、ふつうの人間にとっては。まわりにちゃんと学問をしている人がいる、狂気なほどに突き詰めている人がいる、そういう人に教わる、そうでもしないと、ふつうの人間は学問をすることはむずかしい。(ちゃんと学問ができる人/したい人が東大に集まっているという考え方もできるけれども)

高校生の頃、いま東大で研究に勤しむ同級生たちと話す度、ぼくは自分の頭の悪さに死にたくなりながら会話をしていた。きっとあいつらにはつまんねーなと思われていたんだろうけど、ぼくはとても楽しかった。ひとつひとつの言葉選びにピリピリしながら小さなストレスを感じていたけれど、あの緊張感がたまらなかった。今はあまりそういう感覚がない。それは楽だけど、もっと自分に負荷をかけないといけないよね。

 

さて、がんばろう(卒論)

 

(めんどくさいのでじぶんのnoteから転載した)