すごい人ほど無関心である問題について
講演会とか、ワークショップとかですごい人とあって話すことがある。
その人の話を聴き、僕が自分のことについてしゃべっていたり、僕意外の人がその人にはなしているのを観て、「あ、この人って他のことに興味ないのかな」と感じることがよくある。
そのすごい人たちは確かに相手のことを見ている、けど見ているけど、観ていない。ぼくはそう感じる。「なんかこの人つまらなそうだな」と思う。
僕も同じ感覚を感じることがよくある。ぼくは別に何もすごくないけど。
人の話を聴いてるけれど、聴いていない。
正確に言うと、届いてない。フィルターを越えてこない。
仕事のことでたまに上司からなんか言われるけど、大抵覚えられない。ぼくは頑張って聴いているつもりで、必死に耳を傾けているのだけれど、本能というフィルターが耳の何処か、もしくは脳みそのどこかにあって、そこをその言葉が越えてこない。上司がみたらブチ切れそうだ。
自分と同じ感覚だと仮定して考えてみる。
すごい人は、そのすごい分野に対してすごいのだ。だから、アタマのなかはそのことばかり考えている。RAM(思考力)もストレージ(記憶)もそれらのことにリソースを割いているから、他のことに割く余裕がない。あるけど、自分が取り組んでいることに対して使いたいから、きっと脳が無意識に制限をかけてしまうのかもしれない。
たぶん彼ら彼女らは興味がない。いい意味で。
フィルターを越えてきたものには人の何倍も何十倍もの興味を示す、突き詰める。だからすごいのだ。彼ら彼女らの表情とか態度を見ると無関心なようで、そっけなくて、なんだかいけ好かない人だなと思うことが多いけれども、それはすごい人だからしょうがない、しょうがないと思うようにしよう。
そうじゃなきゃ、すごくなれないのかもしれない。
そして、すごい人はすごいことを認められているが故に、無関心が許されるのだ。
だってあの人はすごいから。
だから、みんなすごくなろう。