@nzmt_i2o3

somebody up there likes you

すごい人ほど無関心である問題について

講演会とか、ワークショップとかですごい人とあって話すことがある。

その人の話を聴き、僕が自分のことについてしゃべっていたり、僕意外の人がその人にはなしているのを観て、「あ、この人って他のことに興味ないのかな」と感じることがよくある。

そのすごい人たちは確かに相手のことを見ている、けど見ているけど、観ていない。ぼくはそう感じる。「なんかこの人つまらなそうだな」と思う。

僕も同じ感覚を感じることがよくある。ぼくは別に何もすごくないけど。

人の話を聴いてるけれど、聴いていない。

正確に言うと、届いてない。フィルターを越えてこない。

仕事のことでたまに上司からなんか言われるけど、大抵覚えられない。ぼくは頑張って聴いているつもりで、必死に耳を傾けているのだけれど、本能というフィルターが耳の何処か、もしくは脳みそのどこかにあって、そこをその言葉が越えてこない。上司がみたらブチ切れそうだ。

自分と同じ感覚だと仮定して考えてみる。

 

すごい人は、そのすごい分野に対してすごいのだ。だから、アタマのなかはそのことばかり考えている。RAM(思考力)もストレージ(記憶)もそれらのことにリソースを割いているから、他のことに割く余裕がない。あるけど、自分が取り組んでいることに対して使いたいから、きっと脳が無意識に制限をかけてしまうのかもしれない。

たぶん彼ら彼女らは興味がない。いい意味で。

フィルターを越えてきたものには人の何倍も何十倍もの興味を示す、突き詰める。だからすごいのだ。彼ら彼女らの表情とか態度を見ると無関心なようで、そっけなくて、なんだかいけ好かない人だなと思うことが多いけれども、それはすごい人だからしょうがない、しょうがないと思うようにしよう。

そうじゃなきゃ、すごくなれないのかもしれない。

 

そして、すごい人はすごいことを認められているが故に、無関心が許されるのだ。

だってあの人はすごいから。

 

だから、みんなすごくなろう。